同情はしない、けれど反日デモは悲鳴にも見える

昨日の午後四時半、2ちゃんねるのトピックで、東京工業大学世界文明センターのウェブサーバがハッキングされて、写真のようなことになっているとの情報が。

 

さすがにハッキングされているウェブサーバーにパソコンでアクセスするのは気が引けるので、携帯からアクセスしてパシャリ。ウィルスが仕込まれている可能性もあるので、パソコンでは避けた次第。

 

その前には最高裁のウェブサーバーが同様にハッキングされたり。民間企業のほうがセキュリティが堅牢なのか、企業ではない機関へのハッキングが続いている。

 

こういった仕打ちに対して、どう思うであろうか?

呆れ返るよりないけれど、こんなことでもしない限り、鬱憤が晴れない環境に追い込まれている中国人を気の毒に思うよりない。中国人といっても、共産党員ではない人のこと。党員に統治されている人民のことである。

 

国民人口は14億人ほどいるけど、そのうち、共産党員は僅か7%弱。その僅かな層が、社会の頂点に君臨し、国や人民を統治するのが中国。93%は共産党の作った枠内で働くよりないけれど、改革開放以降拡大した貧富の格差に対する不満が、いま一番の課題。人民にとっても、共産党にとっても問題はそこに焦点を得る。

毛沢東の肖像画をデモ隊が掲げているのは、昔に対する郷愁を表すシンボルなんだと思う。

以前なら、例え貧しくとも皆等しく貧しいので、問題とならなかった。

 

でも今は違う。

特権階級は米国GMのキャディラック、或いはベンツを運転手付きで乗り込み、スーツも一流海外ブランドを身につけ、レストランだって大衆層とは異なる。

一方の大衆は各省で定められた最低賃金を僅かに上回る賃金をもとに生活する。

 

かたや資産10億円、かたや年収30万円程度。この格差が縮まる様子が無いばかりか、物価上昇もあいまって生活向上の実感さえない。会社の中では昇進する機会も少ない。要は、改革開放以降の富の再分配システムが機能していないこと、人民にも相応のメリットが分配されていないことが最大の問題点なのだ。

 

日本では以前、一億総中流意識、という言葉があったけれど、中国だとどうなるのだろう。

適当な言葉が思いつかない。

 

そういった不満をぶつける先として、反日デモがある。

共産党当局の取り締まりを免れる唯一の集会やデモが反日。

 

実際にデモ隊、或いは暴徒化した集団によって破壊、略奪されたのは日本企業製品だけでなく、RolexやDior等高級ブランド品もある。富の不平等に対する表現方法とは思うけれど、表現の自由の歴史が乏しい中国の人には、別の方法が思い浮かばないのだと思う。

 

今回の反日デモは、統治される中国人民の悲鳴だ。

卑劣な方法を採った奴らに同情はしない。けれど、これは悲鳴を表現したものだ。

 

中国に駐在する知人もいる。

極度の緊張のなかで生活する日本人に被害者が出ないよう祈るばかり。