日本の新幹線のは、それほど語られないけれど実にすごいのだ。
スピードが出る車輛を運行するには、ハイスピードで移動する車輛が必ず安全に止まること。これを徹底出来ないとスピードを出せないのは当たり前のこと。
だからこそ、列車が停止するのに十分な距離を確保しておく必要がある。つまり、先行車輛との接触や追突がないようにする必要があって、鉄道システム全体に安全装置を配置している。
具体的には、新幹線を利用する乗客には気づかないけれど距離にして1km毎にセンサーがあって、先行列車との距離が3kmになると時速160kmに減速、更にその距離が2kmになると時速30kmへ減速。
それでも距離が詰まり1km以内になると停止する、という徹底振りなのだ。
まずは、これだけの安全装置が全て不具合を起こさないと事故は起こらない。
逆に言えば、これだけの装置があって、しかも運用を徹底して初めて安全運行が実現される。
もっと言えば、運転手が異常を視認すればブレーキをかけるはずで、何重にも安全装置がある。
こういうことが日本の新幹線の安全神話の裏にある。
だからこそ、なにがしかの事故が起これば、その原因を究明して、今後の事故防止策として改善策を施す。こういった一連のサイクルを、軽微な不具合が対象であっても、しっかり分析し、対策を施すことで安全が成り立つ。
それだけ凄い事なのだけど、中国では原因の究明よりも鉄道省の面子や責任逃避が優先された。
想像ですが、共産党内の手柄の取り合いや、失敗事案の責任押し付け合いがあるからと思う。
世界のメディアが注目するなかで、事故車輛は解体され、土中に埋められたことは記憶の通り。
この行為に対する国内はもちろん、海外からのバッシングの大きさに温家宝首相が現地を訪問したり、埋めたはずの車輛を再度掘り起こすに至った。
視察といっても事故から6日目となる7月28日のこと。
しかも、医者の許可が出たとの言い訳つきで、首相の面子を守る対策は充分になされたようだ。
経済発展著しい国における、共産党周辺の特権階級と、そうではない一般大衆の間の大きな溝が浮き彫りになっている。
発展しても一党独裁。この体制が優先された。
こうした行為はいつになれば止まるのだろう。
亡くなった方には、ただただ、ご冥福を祈るより無い。