分相応。大辞泉によれば...
[名・形動]その人の身分や能力にふさわしいこと。また、そのさま。応分。「―な(の)生活をする」
この言葉を真剣に考えることは余り無かったけど、加齢とともに時々はそういったシーンに出くわすもの。先日、大阪を代表する繁華街、北新地のクラブに連れてゆかれたときに、この言葉をイヤというほど感じました。
お店の玄関は普通。
でも、なぜか伏魔殿のような何かを感じさせたのです。
そういった雰囲気を感じることは過去にも無かったので、当然ですが身構えました。
で、お客様と一緒にしたことと言えば
席に座り、ボトル一本空けて、女の子と少し話をした。
たったそれだけなんですが、お会計を見ればオヤ!マァびっくり!な金額でした。
でも、一番のビックリは、お店のスタッフの気配りの見事さと、客層の良さ。
客層は経営者しかいません。しかも関西では数少ない品の良い経営者だけ。
そんな場所へ、サラリーマンが混じったのですよ。
お会計ではなく、人物としての成熟度合いが不釣り合いと感じましたね。
良い経験をしました。
いつの日か、あの場所が似合う人物になりたいものです。